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私心記-心識ノ言

美の要素

小さな視点では、意図せずただ作業を継続することによって対象に生まれるパターン。
もう少し広げた視点では、日々の継続によって他者から見られる自身に見るパターン。
パターンから外れたとき、パターンを知り、そこには美がある。
パターンから外れるもの、そしてパターン、共に善しとすることが、ありとあらゆる様々な流れはスムーズになる。

The contrast

我々が本当に物体を知ることとは、その物が放つ光のような振動を感知することで知る。
Knowing that we truly know the object knows by sensing the vibration like light emitted by the object.

作品の保管

和紙を経て、より長期保存に耐える紙を探し高知麻紙を現在使用していることから、作品を保管するものを考えていたところ、木箱を用意しようと製作した。
が、作ってから湿度や密閉度などが気になり少し調べてみたところ、為になる文章を見つけたので以下メモさせてもらう。

---全国手すき和紙連合会ウェブサイトより引用---

キーワードは「健康な繊維」と「箱」です。

 保存性の良い和紙は、健康な繊維からできています。原料のコウゾ、ミツマタ、ガンピの靭皮から繊維を取り出すために、靭皮をアルカリ性の液で煮ます。この時に、木灰、石灰などの弱い薬品を使うか、水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)などの強い薬品を使うかで、繊維の傷み方が違います。木灰、石灰ではその後の水洗工程でも繊維中にアルカリ分が残留しやすいので、できた製品を弱アルカリ性とし、酸の攻撃から紙を守る作用も期待できます。紙を白くするための漂白剤を使用すると、さらに繊維を傷めることになります。一方、マイルドな処理では、靭皮中の傷害部などの変色部がそのまま残りやすく、良い紙をつくるには原料の処理に手間がかかりますので、紙の価格は高くなります。現在主に用いられているタイコウゾは樹脂を多く含むので、強い薬品を使用せざるを得ず、保存性の良い紙をつくるには適しません。化学(木材)パルプを多量に混合することも保存性に悪影響を与えます。なぜなら、化学パルプはさらに強い化学処理を受けて製造されているからです。
 紙の劣化には、水、酸素そして光や熱が重要な働きをします。光、特に紫外線(UV)は繊維を直接傷めますし、熱(高温)は劣化を早め、紙を乾燥させて害を生じさせます。ですから、夏の暑さや、冬の暖房などは紙に悪影響を与えます。

 酸素は紙を酸化させて傷めます。そのため、非常に重要な紙資料は酸素のないケース中に保管されています。良い脱酸素剤と酸素を通しにくいフィルムが市販されるようになってきたので、今後は手軽にこの方法が使えるようになるでしょう。

 湿度の高い所に紙を置いておくと、微生物による損傷をうけます。かびがその代表ですが、フォクシングと呼ばれる褐色の斑点の生成、日本画を描く際などに水が均一に浸み込まなくなる「カゼひき現象」も微生物によって引き起こされているらしいことが分かってきていますので、相対湿度(RH)六〇~七〇パーセントを超えるような環境に紙を保存することは、避けねばなりません。

 紙の劣化を「酸」と「水」によるセルロース(繊維素)の分解(酸加水分解)であると考えると、低湿度のほうが紙中の水分量は少なくなるので望ましいことになります。一方、紙中の水分はセルロース間あるいはセルロースの束(フィブリル)間で潤滑剤の役割を果たしているので、水分量が高いほうが紙は柔らかくなります。したがって、本や巻物を開く場合に乾燥している紙は変形しにくく、傷みやすくなります。たとえば、折り曲げ強さが、相対湿度五パーセントでは六〇パーセントの時の十分の一以下となります。さらに、紙を乾かしすぎると、セルロースフィブリル同士が結合してしまい、次に水が戻ってきてももはや開かないという現象が起こります。湿潤と過乾燥を繰り返すとこのような結合がどんどん増え、紙は硬くしかし脆くなってしまいます。

 このような湿度の変化の影響や、ほこり、光などから紙資料を保護する方法として、「箱」に入れる方法が推奨されています。

 桐箱だけでなく中性紙で作った紙箱にも保護作用が認められています。箱に入れる際の注意点は、紙が湿気ているような、悪い状態で中に入れないことです。そうすると、かえって悪い条件を長く保つことになってしまいます。また、箱の中で虫食いなどの害が生じていることもありますので、定期に点検をする必要があります。これが伝統的な「目通し・風通し」で、点検のついでに、箱の中にこもりがちな湿気も日陰で干すことにより除いてやる保存の極意です。
(稲葉政満)

※参考文献『和紙の手帖�』(全和連発行)p58-59 全国手すき和紙連合会発行http://www.tesukiwashi.jp/p/arekore30.htm

露わ

人の本性も露わになる場面を見たり、出会えたりするのは僕にとって幸せなこと。それが音楽であったり絵であったり、芸人であったり、素直に表出されていれば、無条件に貴重な物であったり、人であると感じます。
ただ表出の過程で色付けされるのは貴重さを失う。
ただ思う通りに進めればいいだけのことが中々難しいから、偉大な芸術家は存在出来ている。表現しようとすれば失敗する。

明度

何か納得のいかない日々の中、今日その原因のようなものを自覚したと決意する。
明るいと感じた度合に対して、それを描く際には明度を現実のスケールに置きなおす癖を発見した。これは致命的なミスであり、やってはいけないことである。
このミスによってまた前進できた心地は有難いが、これまでの時間を悔やむ気持ちも大きく、プラマイゼロである。

不安

様々な葛藤が心の中で激しく起こっている。
苛立ちや不安を鎮めようとする動きと、突風のような激しい衝動に突き動かされそうになる気持ちと。
この心の蠢きを現在の描写に閉じ込めることだけをしていたら、いいのだと制御させる自分。
それは自分なのか区別つかない、自身を見失っているかのような不安。
不安。

描くということ

外に見えるものを描くとき、認識の質によって描き方は違ってくる。
同じく、内に見えるものを描くときも、認識の質よって描き方は違ってくるだろう。
自分が外に見えるものばかりを対象としているのは、この認識の質を自覚し意識出来、コントロールできるはずだという思いも理由の一つにある。
なので、流れる雲のように蠢く自身の内を描くことは、効率が悪く、明らかに終わりのない作業になる。
もちろん外を描くにしても、終わりはなさそうだが、ある程度固定された現実によって、モチベーションは保たれるし、比較もしやすい。
さて、絵を見て何が描かれているのかを示すとき、当然描き手は何を描いているのかを自覚出来ていなければ話にならない。
コップを見て描くなら、コップを描くのか、コップがあるのを描くのか、コップを見ていることを描くのか、だけでも全く違った絵になる。
そもそもコップと認識してしまう脳の横着さがとても気に食わないが、そのスイッチを外すためにも、集中し長い時間夢中で描き続けることが必要となっている。
一度外れればコントロール出来るものであるが、精神によってぐらついたりもするから、統一は肝心で、何を見ているかによって絵は決まり、無心によって進んでくれる。

エネルギー

絵を描く抜け殻の僕を背に、広がる風景を望むものが絵に宿る。


画材

鉛筆をSTAEDTLER/Fに変えてから、紙も、より良い物へと思い、手漉二双紙から楮紙に変えたことで、この楮紙とSTAEDTLER/Fの相性が悪かった。そこで鉛筆を、STAEDTLER Mars Lumograph black / 4Bに切り替えた。
カーボン鉛筆ということで、成分は墨汁に近く、光沢がないので、これまでよりも見やすい画面となるだろう。また紙への定着性が高いとの説明があった。耐久性に関しては、フィキサチフでは少々疑っているので、和紙なので色々と試行錯誤をしていた。
墨で筆で描けば早いのだが、繰り返し濃淡をコントロールさせていくには鉛筆が良いので、いわゆる鉛筆画の耐久性を高めることを目的として、主に掛け軸の構造をここ数日勉強している。

サイン

サインを「Hiromitsu」から「寛充」へ変更。
以前からサインのローマ字表記に違和感を感じながらも、そのまま惰性で続けていました。
しかし、絵自体も違和感を感じていそうな印象を受けたため、変更へと至りました。

●サインの流れ

作品ナンバー / Hiromitsufujiki

Hiromitsufujiki

作品ナンバー / Hiromitsu

Hiromitsu

寛充

認識の細分化

認識の細分化の進みが同時に技術を向上させていきます。
細分化された色彩の面と隣り合う色彩の面との細かい点に見るコントラストは唯一無二のものです。それを知性や品、性分、姿勢でもって単純化、また組み立てなおしていく過程は決して軽視できません。
が、そもそも認識の細分化の度合いによってキャンバスに表出されるものは限られてくると言ってもいいでしょう。
描くことで認識は深まりますが、描かなくても深まります。
要は何をしているときでも作業に繋がっているということは、心持さえ保てていれば無駄なことは一切ないということです。

落ち葉の上で

彼方にイチョウを望む目も
ここに足を見ること離れずに
彼方に立つこと望むとき
ここと言う惰性に目を付ける

迷いながらも

油彩具を初めて匂い、混ぜ、乗せたときの大きな衝撃。お金の心配を余所にバイトもせずただ絵を描き続けることで行き着く先が、いつもどうしたらいいのか?という場所。
描き始め、素人の絵が上達してく過程を見て欲しいという形で4回程個展を開催しましたが、絵を買ってもらうってどうなのだろうという疑念から積極的に展示販売等をする意欲などなく、ただ意欲の向く方へ進み続け、これまで何万人もいたであろう画家を志した人達をなぞるであろう見える景色、財布の中に1000円札があれば1年は過ごしていけそうな気がするほどの日々で、時に描いているときにお布施のような形でお金を頂いたり、年に数回は通りがかりの方に買っていただけたり、浮浪者に缶コーヒーをご馳走していただいたり、というような約8年を過ごしてきた中で、これまで通りこれから描く絵と向き合えるのかと訊けば戸惑う、気合で進めてもどうしたらいいのかと自問自答は付きまとう。
これからの作業には気合だけで済ませられるようなものではないと気付いている状況です。

そっと肩に触れた感触は 糞ではなさそうで
このへんで筆を置き 一服しようと振り返る
空を見上げて寝そべっている蝉
二人目が合うと 木漏れ日が大きく微笑みかけた
遥か彼方から 愛おしさを照らす大地で
互いは手を差し出し やさしい風に包まれる

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